苦は楽しいか?

お釈迦様が人間の4つの苦悩として「生老病死」と言いましたね。

というか、言ったそうです。

四苦八苦というぐらい、人間は生きる上で苦しいことがあるわけですね。

しかし、最近私は思うのですが、痛いとか怖いとか、逃げたいとか、そういうネガティブな感情について、当たり前のように起こるんだという洗脳ではないのかということです。

出来事というのは中立で、ある人にとってはよいことでも、ある人にとっては悪いこととして感じることがあります。また現象としても、ある人にとっては最悪でも、違う人にとっては最高の出来事として受け止められることもあります。

例えば、もう耳タコの新型コロナウィルスの流行について考えてみても、感染した人にとっては、体調を崩した上に周囲から叩かれ、敬遠されたりいじめられたりするわけですが、新型コロナウィルスの流行でビジネスが右肩上がりに伸びている会社などもあるわけです。Zoomや、それを使ってセミナーを行う会社なども伸びているところはかなりあると思います。またYouTubeやネットフリックスなど動画配信サイトはうれしい悲鳴を上げているかもしれません。

これらはちょっと極端に感じられるかもしれませんがそういうことです。

物事は中立で、それ自体に善悪はないと思います。

あるいは社会的な洗脳によって、これは悪い、これは良いという判断をしてしまうこともあります。

私たちの年代では、たくさんお勉強をして、いい学校に入って、いい会社に勤めて、素敵なパートナーと一緒になって、子供は二人……みたいな(私だけかもしれません)

そういう洗脳がまことしやかに行われていたわけです。これは今もなお続く高度成長期のなごりでもあるかもしれませんが、どこかにそういう発想が根強く残っているわけです。

そういうことで幸せになる方もいますが、そうでない方もいるわけです。ですから一概に「これが良いのだ」というものは実はないと思われます。一流の学校に行き、一流会社の社員になったから幸せになったかというと、そうでもないことの方が多いのではないでしょうか。ある意味そういうふうにして社会の優れた歯車として育てようという国家レベルの洗脳があるわけです。

さて、そう考えますと、普通の方は「生老病死」は苦なんだ、つらいものなんだとか、死んだら地獄に行くんだとか、わけのわからない脅し洗脳を施されて、日々恐怖におののいて、ついついネガティブな考え方に偏ってはいないでしょうか。

「生老病死」は人の常です。

生まれる喜び。

老いてなお成長する喜び。

病気はちょっと解釈が難しいけれども、病気から回復し、生きている実感を味わえる喜び。また、病気の後、実は身体も抵抗力などがついて強くなることもありますね。

死は、これは怖く感じますね。

すごく偉いお坊さんが、死ぬ間際に「わしはまだ死にたくない、苦しい、苦しい」と言って亡くなった話を聞いたことがありますが、そのお坊さんも洗脳にかかっているのですから、それにきっと現世で何か悪いことをしてきたのでバチがあたり地獄に行くのが怖かったのでしょう。

何せ見たこともない地獄やら何とかで人を脅かし、お布施をがっぽり儲けていたのですから仕方ないですね。

死ぬということも中立ではないかと思うのです。植物が芽を出し、花を咲かせ、そして枯れていく、これが自然の摂理であり、よいことでも悪いことでもなく、ただそういうことなのです。

ですから、自分の人生を楽しく全うできた人は魂の喜びとともに、植物の花が枯れ種となり、次の生を生きるように生まれ変わるのではないでしょうか。

ですから、あまり日常の中でよいこと、悪いことの区別をつけすぎないことが大事ではないかと思うのです。

洗脳にかかったアタマでは、人間は生きていく上で苦を味わわなければならないんだという、そういう生き方を選択してしまいます。

物事は中立であると考えれば、苦は喜びに変えられると思うのです。こじつけでも何でもいいから、そう考えた方が得なのではないでしょうか。

今日もご精読ありがとうございました。

武蔵村山市の整体サロン(むさしボディサロン)

阿部泰志でした。

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