分離するとは、一体感とは何か。
例えば、他人との関係が悪くなってしまうことがありますね。
そんなとき「あの人は間違っている」という考えになりますね。これがそもそも、他人と自分は別のものだという考えになります。つまり、自分と他人は分離していると考えるわけです。
これは私も含めて凡人の持つ普通意識ではないかと思うのです。
でも、どこからが自分でどこからが違うのかということを考えてみると、例えば、手に生えている爪は切る前は自分の一部ですが、切ってしまえば自分から離れてしまうので自分ではないとも考えられますね。
目の前にあるお肉は自分ではないけれども、食べてしまえば自分になりますし、排泄してしまえば自分ではなくなりますが、栄養として身体を構成してくれたならば、これまた自分ということになります。
つまりは、すべては一つと考えた方がよい、自分は宇宙の一部であり、すべてのものと根っこではつながっているというふうに考えた方がよいのではないでしょうか。
今日はそんなに深いテーマではないのですが、この一体感、分離感というものが案外いろいろなものに影響しているのではないかと考えました。
例えば、国という枠組みで考えますと、例えばアメリカならばアメリカ、中国ならば中国という土地を一つの基準として民族という共同体、つまり一体感を持った人々の集合体でもあります。
戦争というのは、自分の国にとっては正義であり、相手は悪として、自分たちの共同体として戦うわけです。しかし、相手の立場、相手国の国民になったとすれば、また我々も「悪」とも言えるわけです。
しかし、もっと大きな人間、人類という単位で考えれば、これまた敵もまた味方と言えるわけです。
多くの感情的な問題を引き起こす出来事の根本が、この他者との分離感ではないでしょうか。自分でないものは傷つけても構わない、自分がよければ他人はどうなっても構わないという、分離感から来る利己主義がさまざまな出来事のマイナス部分であるように感じます。
他者と自分は同一であるという考えができれば、そういう考え方に近づけば近づくほど摩擦はなくなり、楽になるのではないでしょうか。
自分の身体を思いやるように相手の身体や心を思いやる、そういう状態が続けば続くほど楽になるのではないか、そういうふうに考えます。
もし困っている人がいたら助けてあげるというのが、同一体として当たり前のこと、ご自分の身体にやさしてしてあげることと同じではないでしょうか。
他者を助けることができる、癒やすことができるというのは、その同一体である自分が健康であればこそではないでしょうか。健康はすべての源です。どうぞご自分がより健康になって周りを明るくしてください。
私もそのお手伝いができれば幸いです。
今日もご精読ありがとうございました。
武蔵村山市の隠れ家整体サロン634bodysalon(むさしボディサロン・整体・武蔵村山市)の阿部泰志でした。